象の消滅

以前、村上春樹氏の『象の消滅』という短編を読んだことがあって・・・思い出しました。

ある日、町の外れで飼われていた象と飼育員が忽然と姿を消してしまう。しかも、象を繋いでいた錠はロックされた状態で。そして、この逃走といより、消滅について、小説では主人公の『僕』の視点でいろいろと書かれていくのですが。結局、答は見つからず、その原因は読者の推測に委ねられるという・・・。

私はこの不可思議な小説を読んで、都市と不可分の「便宜的」な「統一性」が、個を知らず知らずのうちに消し去ってしまうという比喩を描いた話ではないかと思いました。村上春樹氏独特のシニカルな目線で、現代社会観を映し出した小説というか。都市というのは、特定の専門的な役割を果たす市民が、各々が産んだ「価値観」で等価交換しあうことで成り立っている。本当のところは、様々な材料やプロセス、或いは個人的な信念や思い入れから生み出された「価値」を同じ物差しで量って比較するのは無理なのだけれど、都市はそれを「便宜的」に貨幣等により「統一」することで無理やり社会を成り立たせているような気がするのです。

最近は「貨幣」という現世的な俗物だけではなく、ボランティアや思想啓発といった、物質的ではない精神的な支柱によって成り立っている「社会交差」の場もあり、正に多様性の時代に入っている感。小説の本文にもあるのですが・・・

「台所にとって統一性以前に必要なものはいくつか存在するはずだと僕は思いますね。でもそういう要素はまず商品にならないし、この便宜的な世界にあっては商品にならないファクターは殆ど何の意味も持たないんです」

という共同的な社会的価値観に合致しないものの不要性を語る批判的な文章もあります。ここで小説への自分なりの感想を書けば、結局、 象と飼育員の育んでいた愛情は、町の一部の者には積極的に拒否され、大多数の住民はそれに無関心だったという「社会の欺瞞」を村上氏は描きたかったのではないでしょうか。そして、飼育員や象の「心の交流」は、むしろ社会に気付かれることすら無かったという事実。ただ、主人公の「僕」だけは、彼らの関係に「統一性以前に必要な何か」を感じたからこそ、彼らに並ならぬ関心を寄せていたのではないかと思うのです。しかし、町にとって彼らは「殆ど何の意味もないファクター」であったし。だからこそ、彼らは消滅し、そしてそれによって主人公の「僕」はバランスを見失ってしまったのではないかと思うのです。まさに、今の日本の政治状況を見るにつけ、私は『僕』の気持ちに共同幻想を描いてしまいます。そして、そう・・・「自分が正しくまともだ」・・・という妙な自信があるのも事実です。

Loading Facebook Comments ...