【スカイツリー10周年徒然】
〜毎度の長文 御免笑〜
浅草三社祭の投稿は浅草地区議員にお任せして…(笑)
今日でスカイツリーが10周年とのこと。
年配の方なら記憶にあるでしょうが、スカイツリーの建設前には場所や高さで喧々諤々ありました。上野の山とか隅田公園に建てようという話もあって。最初に台東区議会に電波塔建設の話しを持ってきてくださったのは、民放TV局のお偉いさん達と懇意で中央省庁の役人にも人脈があった、今は亡き石山会長(前台東区商店街連合会会長)でした。結局、会長の苦労もあって、最後は東武鉄道も絡んで今の地に建ったわけですが。
当時、私は故・田中伸宏先生と二人会派を組んでいて、田中先生が石山会長と親しかったために何度も打ち合わせに参加させられ。先輩方が酒を飲みながら口角泡を飛ばし合う場所で、酒の弱い私はヘロヘロになりながらの辛い日々でした(笑)。
しかし、あの時の先輩議員達のスカイツリー建設に対する熱量は凄まじく、正直、先輩方の苦労が無ければスカイツリーは、下町である墨田区・台東区には建たなかったと思います。そういう意味では、石山会長や当時の議会先輩方は仕事として『偉大なレガシー』を下町に残したわけです。感謝!
余談ですが…
建設に先立って田中先生が『スカイツリーから浅草まで北十間川を通してロープウェイを作ってアトラクションにする』というアイデアを出し。実際に夢のある完成図を描いて『選挙ポスター』にまで載せてアピールしました。当時は殆どの人が「無理 無理 絶対できない」と大笑いしてボツにしていましたが。最近、田中先生の先見性を『横浜みなとみらいのロープウェイ』を眺める度に感じます。
私に田中先生は『スカイツリーをラスベガスのストラスフィアみたいにする』と常々言っていましたが。ロープウェイだけでなく、ストラスフィアのように塔の上層部にジェットコースターやビックショットなどのアトラクションを作る企画を真剣に建設主体者に語っていたのです。
そして、いつも、最後は…
新しい事にチャレンジするの役所と比較して、『規制だらけのの役所』を嘆いていました。その話しは、実際にの役所の実例を勉強していただけに説得力がありました。
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