梅原猛氏 逝く

ほりこし秀生日記

哲学者で国際日本文化研究センター(日文研)初代所長の梅原猛さんが12日に亡くなりました。若き日、西田幾多郎や田辺元らの京都学派に憧れ、哲学を志し。その道は西田哲学をなぞるのではなく、どこまでも自ら思索し深めることだったといいます。

氏の著作で私が好きなのは、哲学書だけでなく、なんといっても漢字学者の白川静さんらに強い刺激を受けた後に書した京都新聞連載の「京都遊行」。1998年11月~2004年4月までで計208回に及んだ文章を読んで、私も京都を旅しました。京都市内をはじめ丹後や山城を訪ね、秘められた歴史を掘り起こした秀逸の案内でした。梅原さんは事あるごとに・・・

『日本文化の原理は草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)。
草も木も生きものだという人類の原初的考え方だ。
人間中心の傲慢な文明が近代文明。
近代哲学はその文明を基礎づけた。
そんな人間中心主義を批判しないといけない。』

・・・素晴らしい。
私自身、京都の寺社、山々を旅する時、若い時と違って、八百万神を意識しながら自然を眺める気持ちになったのは梅原氏の影響が大きいです。氏の文章は古神道に連なる日本の「アニミズム文化」を根底から支える歴史案内書でもありました。また、晩年の梅原氏で記憶にあるのは、同志社大学教授の友人に誘われて参加した「9条の会」で拝聴した戦争体験談です。

「私が入るはずの防空壕(ごう)に爆弾が直撃して大勢の中学生が座ったまま死にました。死骸が吹き飛ばされて屋根の鉄骨の上に引っかかっているのを見て、深く戦争を憎みました。」

「知の巨人」というだけでなく、「戦争を知る先輩」として梅原氏の死は日本の損失です。

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