台東区 防災政策提案
〜木村正清君と考える防災〜
大学の同窓・木村君は東日本大震災で両親を亡くされました。彼が書いた思いの中に筆舌に尽くしがたい現実があります。
『2011年3月11日14:46に発生した東北地方太平洋沖地震は、海溝型地震による巨大な津波を惹起せしめ、両親と生まれ育った実家をすべて奪いさりました。2日前に発生した地震の際に父と交わした会話が最後になりました。「大丈夫、漁具なんかどうでもいい。逃げるから」。その父の言葉が今も私の脳裏に深く焼き付いています。「なぜ逃げなかったの?お父さん」。その答えは、肺炎での入院からやっと自宅に戻り、床に伏していたであろう母を命を懸けて救うためであったこと、確信しています。それでも、もしあの時、誰か が母を強い手で導いてくれていたらと考えずにはおられません。振返ると、自分が呼吸していることを思い出したのは、5月のゴールデンウィーク明けでした。それまでの 約2ヶ月、自分がどのように生きていたのか全く思い出すことができません。それほどまでに最愛の両親を 突然失った悲しみ、寂しさ、虚しさは筆舌に尽くし難いものでした。12年経った今も未だ両親の亡骸は出 てきておらず、私はこの震災で生涯癒えることのない悲しみ・苦しみを体験することになりました。』
私は、以前のFB投稿で、18歳の身内が津波にのまれた悲しみを書きましたが。未だに、その両親である身内の時間は、あの日から止まったままです。
今回、区長選挙に出馬するにあたって、木村君と二人で台東区の防災を考え、皆様に提案します。
(防災・危機コンサルタント 木村正清)
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